中国史の前提(裏)
我々は日本人であるので、どうしても日本人の感覚で考える。
だが、日本人の感覚より、中国史は派手で汚く穢らわしい。
ここを間違えてはいけない。
日本という国は、世界で一番平和で大人しい国なのだ。
例えば日本史では、長崎県の一部で騒いでいただけの反乱が、
「島原の乱」として教科書に太線最重要語句として出てくるが、
中国史において「○○の乱」と言えば、普通に王朝がひっくり返る。
日本史には、京都や江戸が反乱軍に制圧された例は無い。
比叡山でたったの数千人(諸説あり)殺しただけの信長が、
第六天魔王あつかいされ、非情な武将と思われていて、
天下分け目の関ヶ原ですら十万人同士の戦いなのだが、
中国で、戦争とか虐殺とか言えば数十万人規模は当たり前。
さらに言うなら、中国人は人食い人種で、
三国志には、妻の肉でもてなした人を主人公が絶賛するくだりがある。
漢文で「煮ル」とあると「釜ゆでの刑にする」と訳すが、
実は本当に煮て、しかも食べている。
中華料理と書いたら「なんでもたべる」と読みたいくらいで、
(私は北京でサソリの串焼きを食べました。生きたまま焼きます)
人食いは野蛮だからやめよう、と説いたのは、かの魯迅大先生。
つまり、中華民国初期にはまだ人肉食は残っていた。
また、旅行記を書く、と書いたように、私自身は中国旅行をしている。
これをお読みの諸君も、大学入学後に一度は行ってみることを勧めるが、
中国人から見て、日本人=金づる、であることは忘れないように。
デパート内には「JUSCO」という名の一流ブランドがあるくらいで、
私たちの普段着は彼らの高級品、ひと目で日本人だと見抜かれる。
中国ではないが、東南アジアを旅行中の女性が、
「みんな親切で良い人ばかり、偏見を持たずに来てみるといいよ」
とブログに書いた翌日に、他殺体で見つかったことがある。
良い悪いではない、日本人というのはそういう対象なのだ。
そう言うと、中国人を貶しているようだが、
そういう中国と、そういう中国史が、私は好きなのだ。
私が中国史を書く以上、本音でボロクソに書くこともあるが、
腹中に愛情をもってのことだと、ご勘弁願いたい。
好きになるということは、汚い部分も理解した上で、だと私は思う。
美人だからイケメンだから、良い人だから人格者だから、
こういう良いところがあるから好きだ、なんてのはまだ甘い。
こういう悪いところがあっても好きだ、が正しい。
誤解なきように、私は悪いところを正当化しているわけではない。
「うちの子は全て正しい、間違っていない」なんてのは、愛情ではない。
「全てが正しい人などいない」というだけの話なのだ。
以上。
これを前提に、高校生向けの中国史を書く。