数学帝國への逆襲 (西春自習質問教室のブログ)

「西春自習質問教室」は、高校生のための自習と質問に特化した教室です。 電話 0568-65-8104

中国史18.元

国史18.元(1271~1368)
首都は大都。今の北京。
長安同様、燕京、大都、北京は少しずつズレている)

旅行記9】
北京。(読みはベイジン)
元が首都にして以来、明の初期を除いて現在までの首都。
大都会の高層ビルと、ベッド貸しの貧民窟が混在する都市。
北京駅の横の露店で、チャイナドレスの美人客席係が、
朝5時に大盛りの麺をペロリと平らげて、勤務に向かう町。
日中出歩いて帰ると、鼻の穴が真っ黒になる町。
PM2.5です。歩いていける距離の高層ビルが霞んで見えます)

北京と言えば北京ダックと、本格派の店を探して行った。
泥道の上の板を伝って歩かないと行けなかった。

前にも書いたが、日本人=金づる、なので、
知らない中国人について行ったら日本に帰れなくなるのだが、
それでも、信頼できる人に案内してもらわないと、
観光客用の○○大飯店では、ろくなものが出てこない。
仏跳牆(究極のメニュー)にカニカマボコが入ってやがる。

ただ、中国人自慢のメニューが、日本人の舌に合うとは限らない。
逆を考えればわかる、味噌汁や納豆を中国人が食べるものか。
不味いとまでは言わないが、たくさん食べようと思う味ではない。
何年か暮らして舌を慣らして、初めて行くべき店だと思ったよ。

仕方がないので、麦当労(マクドナルド)ハンバーガーに入った。
一口食べて吐き出した、ピクルスじゃなくてピーマンだ。
吉野家は店全体に腐臭が漂い、回転寿司は加工肉の寿司ばかり。
肯徳基フライドチキンはまともだったので、そちらを勧める。
旅行記9終わり)

さて、元についてだが、
フビライ・ハン(世祖)が、自分の周りだけでクリルタイを開き、
大ハン位について、国号も中国風に元とした王朝。

お気づきかもしれないが、
「宋」までは、春秋戦国期の地名国名から王朝名が採られている。
前王朝で「○公」の地位につき、○王→禅譲→大○皇帝、の流れ。

遼からは、○公になっていないので、美名を選んで国号にした。
金、元、明、清も同じ。
金なんて、故地で砂金が採れるから、というのが理由。

では元が何かしたのかというと、
中国人を支配して毎日遊んでいただけで、たいした政治はしていない。
支配するために、モンゴル人、色目人漢人、南人の身分制をつくり、
色目人は異民族、漢人は金の土地、南人は南宋の土地に住む人たち
チベット仏教ラマ教)を信仰し、独自のパスパ文字を作りはしたけれど、
基本的に、政治制度は宋のものそのまんまだった。

[南人]
さらに序列があり、最下位は乞食で儒者ブービー、その上は娼。
つまり儒者は売春婦より下等な人間だ。
南宋言論の自由を満喫していた儒者たちなので、
ざまあ・・、じゃなくて、ショックは大きかったと思われる。

パスパ文字
ラマ教の法王パスパが作った。四角いのでハンコ向き。
日本の元寇遺跡で出土した命令文書にも捺してある。

f:id:nishiharu_jsk:20200210195411j:plain

言われてみれば色からして違うわな

元は、カネがなくなると他の土地からの強奪を計画し、
黄金の国ジパングフビライが目を付けたのが、元寇だ。
文永の役は、日宋貿易による南宋支援を断つ目的もあります)
金の真似をして交鈔を発行し、またまた塩の専売をしたのだが、
長続きするはずもなく、紅巾の乱が起こって元は短命に終わる。

ただ、一時とはいえユーラシア大陸にモンゴルの大帝国ができたので、
シルクロードが国内道路になり、欧州人が元に来るようになった。
ジャムチと呼ばれた駅伝制も発達し、馬や車を乗り継げるようになる。

ローマによる周辺の平和をパクスロマーナ(ローマの平和)と言う。
アメリカの軍事力で平和が保たれることはパクスアメリカーナで、
モンゴル帝国の中の往来の自由を、パクスモンゴリカと呼ぶ。

パクスモンゴリカまとめ。
カラコルム着。
プラノ・カルピニウィリアム・ルブルック
大都着。
モンテ・コルヴィノ
このへんはフランチェスコ派修道士。布教のために来元。
イブン・バトゥータ。「三大陸周遊記
マルコ・ポーロ。「世界の記述東方見聞録)」

宋でも書いたが、こういうことは良いことばかりではない。
元の滅亡を早めたのは、今の雲南省から流行したペスト、黒死病だ。
それが、パクスモンゴリカによってヨーロッパに広まり、
中国もヨーロッパも人口が半減したと伝えられる。
(さらっと書いたが人類史上最大のペストの大流行)

日本はペストとは無縁だ、最大の流行で千人弱。
理由ははっきりわからないのだが、
日本土着のドブネズミのノミは、ペスト菌を運びにくいらしい。
ドブネズミさんありがとう。

◎元の文化◎
漢文の内容が変わったのは宋だ、と書いた。
ただし、文学のターニングポイントは元である。

唐宋までの中国文学は、主にノンフィクションだ。
漢民族は歴史の伝統に則って、世界の中心に君臨している。
元は違う、中国はエイリアンに侵略され、彼らは亡国の難民なのだ。
ここにおいて漢民族はフィクション、
つまり文学において嘘をつくことの楽しさを覚える。

宋代に始まった古典劇(つまりオペラ)は元曲と呼ばれるようになる。
代表作に「西廂記」「漢宮秋」「琵琶記」(琵琶記のみ南曲)があるが、
これらは全て恋愛が題材、ぶっちゃけ現実逃避だ。

小説で、現実逃避はさらに進む。
三国志演義」は、三国時代劉備を主人公にして派手にしただけだが、
水滸伝」は反乱者の宋江が、宋に忠誠を尽くす物語になるし、
西遊記」に至っては、スーパーモンキー孫悟空が主人公になった。
このあたりは、全て南宋から元にかけて形作られ、明で完成した。

おわかりだろうか?
全て「主人に忠義を尽くす」物語であることが。
中国人にとっては、そうでなくてはならないのだ。

あと、宋代の三大発明とは少し傾向が違うが、
現実科学的な分野では、郭守敬授時暦は元代の業績のひとつだ。
彼の計算結果、1年=365.2425日、に西洋が追いつくのは400年後になる。