数学帝國への逆襲 (西春自習質問教室のブログ)

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中国史14B.唐(続き)

国史14B.唐の続き

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黄色で塗られた部分は羈縻政策(本文参照)

Bは、唐の衰退と滅亡の話になります。ネタから入ります。

クレオパトラ楊貴妃か】
鼻がもう少し低かったら、と言われたように、クレオパトラは美人系。
楊貴妃はグラマーなタイプ、今で言うところの巨乳系。
ちなみに、武則天はモデルタイプの長身美人系で、
太宗に好まれなかったのは、単純に太宗が可愛い系が好きだったのか、
それとも武則天の本質を見抜いていたのかは、今となってはわからない。

小野小町? 日本以外では相手にされてねえよ。
だいたい平安美人つったら、アレだぞアレ。
もし今にタイムスリップしたら、高須先生の出番だよ。

玄宗楊貴妃は、年齢差34。
楊貴妃27歳の時に玄宗は61歳。うらやまけしからんと言うしかない。
高校生向けの教室を運営しているからわかるが、今なら話が噛み合わない。
ファン・ビンビン楊貴妃も演じている、どんだけ美貌に自信があるんだか)

旅行記7】
西安には「玄宗皇帝と楊貴妃の使った温泉跡」がある。
見た時に、中国って共産主義だったんだな、と実感した。
「世界一の美女の入った温泉」だぞ、全地球的な名所にできるだろうが。
母親(還暦を超えている)に話したら、行きたい、と即言ったぞ。
女性の美への欲求は底なしだ、もったいないなあ、と今でも思っている。
旅行記7終わり)

本題はここからだ。
玄宗楊貴妃の遊び相手にひとり、デヴがいた。
出っ張った腹のせいで自分の膝が見えないデヴで、重心も前にあるので、
相撲取りのように後ろに傾いて歩く姿を、楊貴妃が気に入ったという。
その超デヴの名が、安禄山だ。
(幕末、西郷隆盛を嫌った人は、デヴ同士で彼を安禄山に例えた)

節度使に欠員ができると、玄宗は遊び仲間の安禄山にやらせたので、
彼は三か所の節度使を兼任し、政敵から謀反の疑いありと讒言される。
一度は謝って誤解を解いたが、二度目は本当に反乱するしかなくなった。
安禄山は洛陽を占領し燕の皇帝になるが、その後失明し暗殺される。
反乱軍は部下の史思明が継いだので、安史の乱(755)という。

生活習慣病としての糖尿病について]
君たちも将来、おじさんおばさんと呼ばれるようになる。
年齢とともに体力が衰えるのは仕方ない、中年太りもするだろう。
どうもこのごろ少し変だな、と思ったら、何とかしてまず痩せろ。
「風邪は万病の元」と言われるが違う、デヴは万病の元なのだ。
安禄山の最期は、どう見ても糖尿病の末期症状だぞ。
糖尿病は全身の倦怠感から始まって、失明を含むいろいろな症状が出る。
徳川家康西郷隆盛が無事だったのは、運動をしていたからだよ。

ここで唐の武将高仙芝に登場していただこう。
教科書では軽視されているが、彼を中心に考えると唐の戦史がわかる。

高仙芝は、高句麗の遺民だ。
唐は高句麗を滅ぼし、そこの人たちを一部、江南に強制移住させた。
朝鮮人強制連行であり、当然ながらその人たちは蔑視と迫害の対象になる。
その在唐朝鮮人差別の中から頭角を現したのが、高仙芝だ。

唐の西北にはモンゴル系の柔然がいたが、
南北朝末期に突厥(≒トルコ)によって滅ぼされた。
突厥はその後東西に分裂するが、
高仙芝は、その突厥チベット吐蕃との戦いに活躍した。
突厥は属国というより、唐の地方長官の地位になっていく。
(こういうのを馬や牛の手綱に例えて羈縻政策という、地図参照)

唐の領土が広がって世界帝国化したことは、彼の貢献が大きい。
高仙芝の軍団に抗しきれない小国は、西の大国に救援を要請する。
イスラムの雄、アッバース朝だ。
タラス河畔の戦い(751)には敗れたが、彼の評価は下がっていない。
捕虜の中に紙すき職人がいたことで、紙が西洋に伝わった戦いです)
だが安史の乱で、玄宗が高仙芝を信用しきれず冤罪で処刑したことで、
唐は敗勢になり、楊貴妃は絞殺され玄宗は退位する。(追加1参照)

その後史思明も暗殺されるので、唐は長安や洛陽を奪還するが、
安史の乱は終わらなかった。
反乱軍の武将たちを、そこの地域の節度使と認めてしまったからだ。
彼らはその後、藩鎮と呼ばれるが、まともに税を払うわけがない。
唐は、税制改革を迫られることになる。

乱が長期になれば、均田制や租庸調制は崩壊し、
土地を手放して小作農になる人が増え、佃戸と呼ばれるようになった。
仕方がないので、徳宗楊炎という宰相の提案で始めた両税法は、
租庸調制を捨てて夏と冬に分けて物納する制度で、明まで続いたが、
専売を強化したことが、唐にトドメを刺すことになった。

問題は塩だ。
鉄や酒は買えないなら我慢すればよいが、塩は人体に絶対必要だ。
買わないわけにはいかないが、政府から買うと数十倍の値段になる。
安く買われている製塩業者は、内緒で塩を売りに行き、
唐政府が違反者を死刑にしたので、武装するようになっていった。
唐を追い詰めたのは、塩の密売人の反乱なのだ。

中心人物は王仙芝(高仙芝と同名なのは偶然)だったのだが、
王仙芝の戦死後に引き継いだ人の名前をとって、黄巣の乱(874)という。
黄巣長安に攻め込み、斉の皇帝になる。

ここでまた、漢民族の学習能力の欠如が出る。
安漢公の王莽が漢を滅ぼし、煬帝と名を付けた人が煬帝と呼ばれたのに。
黄巣の乱は、黄巣の部下だった朱温という人物の裏切りで平定されるが、
裏切り者朱温の忠誠を褒め称えた唐は、彼に全忠という名を贈った。
その朱全忠哀帝禅譲して、唐は滅ぶ

足利高氏について]
後醍醐天皇は、足利高氏の功績を讃え、尊氏を名乗れ、と名を贈った。
その足利尊氏に、後醍醐天皇は京を追われることになる。
つまりまあ日本人も、やってることは中国人と変わらないってことだ。

◎唐の文化◎
漢詩の世界で唐詩が最高評価なのは、科挙の科目に詩があったからだ。
初唐、盛唐、中唐、晩唐に分けられるが、盛唐くらいしか出ない。

王維:盛唐の自然詩人。画家としても南画の租。
李白:盛唐の詩仙
   漢民族の誇張表現の代表「白髪三千丈」は李白の五言絶句より。
杜甫:盛唐の詩聖
  「国破れて山河あり」で始まる「春望」が有名。
白居易:中唐の詩人。楊貴妃を描いた「長恨歌」が有名。
   「白氏文集」(口語体の詩文集)は日本に伝わり愛誦された。
韓愈(韓退之)、柳宗元:この二人は詩人というより文章家。

阿倍仲麻呂
彼の活躍は盛唐、玄宗時代。
李白や王維とお友だちになり、節度使まで務めた。

水戸光圀
圀なんて字は、もともとの漢字には無かった。
武則天が新しく漢字を作ったうちのひとつ。
なぜか日本に渡って超有名人の名前になってしまった。

長恨歌の嘘]
白居易は、楊貴妃の死後十年以上経って生まれている、見たことはない。
中国人の感覚はいつもこれで、私も楊貴妃の墓に行ったことがあるが、
見てもいない人が作った楊貴妃の像が建っていた。
見てもいない人の作った武帝曹操や太宗の像があちこちにあるし、
秦の宮殿(阿房宮)に至っては、コンクリートで作ってあった。
イメージぶち壊しだ。

『推敲』
文章を練り直したり、間違いがないか検討したりすること。

「僧は推す月下の門」という句を思いついた詩人が、
「推す」は「敲く」にした方がよいのではないか、と悩んでいて、
長安の長官だった韓愈の行列に突っ込んでしまい、(斬られても仕方ない)
それを聞いた韓愈が「敲くの方がいいだろう」と言ったことから。

あと、盛唐時代には、
画家の呉道玄と書家の顔真卿が出ているが、芸術系はよくわからない。
陶器は、有名な唐三彩が出ているのだが、別にこれも三色ではない。