中国史、唐追加1.「中国四大美人」
楊貴妃がいるので唐の追加にしたけど、
あんまり戦争の話ばかり書いているとヤバい人と思われるかもしれないし、
今回は、美人の末路、ということで。
中国四大美人は、西施、虞美人、王昭君、楊貴妃だ。
(貂蝉は創作なので交代)
古い順にいこう。
「西施」
臥薪嘗胆の越王勾践が、呉王夫差を堕落させるために贈った美女だ。
中学国語の教科書にある魯迅の「故郷」で、豆腐屋小町とあるのは、
原文では「豆腐西施」になっている。
眉をひそませる姿がとりわけ美しいとされたので、
真似をしてそういうポーズをする女性が続出したらしい。
ツンデレの元祖だな。
越王勾践(実際は軍師の范蠡)の作戦は成功し、呉は滅んだ。
その後についてはよくわかっていない。
少なくとも越には帰らなかったらしい。
勾践夫人が、勾践まで同じことになるとヤバい、と考えたからだ。
袋に入れて長江に放り込まれた、という説と、
引退した范蠡と一緒に他国で暮らした、という説あたりが有力だ。
「虞美人」
これは有名。項羽の愛人。
でも、こんなに有名なのに、末路はわからない。
垓下で項羽に斬り殺された。
足手まといになると自害した。
劉邦のものになるのが嫌で自害した。
脱出して項羽を弔って生きた。
脱出して他者と一緒になった、等々。
つまり、わからない。
終了。
「王昭君」
漢の元帝の時、匈奴の単于が、漢の婿になりたい、と申し出た。
漢と姻戚になって、他の匈奴の勢力への影響を強めようとしたわけだ。
だから晋を滅ぼした匈奴は、漢の一族として劉淵を名乗っている。
元帝は、当然自分の娘を出すつもりはなく、
自分の愛人の中から一人選んで、養女として嫁がせることにした。
皇帝の愛人だから、元帝は少ない方だが数百人いる。
(本論参照。元帝は一応純愛派)
愛人たちは、元帝に自分を選んでもらおうと、
元帝に見せる宮廷画家にカネを握らせて、似顔絵を良く描いてもらった。
元帝はそれを見て、今夜はこの娘にしようか、と考えるわけだ。
注釈だが、
男の宦官もそうだが、愛人たちも一族の繁栄を背負って来ている。
どの皇帝の愛人も、必死なのだ。
皇帝が牛車に乗って自分らの住居に来るので、
自分の前で牛を止めようと、牛の好む塩を置いたということが、
今の「盛り塩」の風習に繋がっている。
元帝は、似顔絵を見て、
コイツなら匈奴に贈っても惜しくないかな、という女の子を選んだ。
そして選ばれた王昭君が挨拶に来た時にびっくりする、超美人だからだ。
自分の容姿に自信があった王昭君は、画家に賄賂を贈っていなかった。
(この画家は皇帝を騙したことになるので死刑、通常の死刑なら軽い方だ)
だがもう決まったことなので、元帝は後悔しながら王昭君を送り出し、
王昭君も、泣く泣く砂漠の国に嫁いでいった。
(今ならアマゾンの原住民に嫁に行く感覚。里帰りできるわけがないので)
王昭君の悲劇は、そこでは終わらない。
本論に書いた「烝」がある。
(モンゴルの蒼き狼参照)
夫が死んだ時、王昭君は、その跡継ぎの妻にならねばならない。
漢民族にとっては屈辱中の屈辱なのだが、決まりだからと説得され、
結局、跡継ぎの子供を二人産んだそうだ。
「楊貴妃」
玄宗と楊貴妃の遊び相手だった安禄山が反乱を起こして長安に迫った時、
玄宗は、蜀に逃げようとしたのだが、
皇帝を護って同行するはずの軍隊が、どう命令しても動こうとしなかった。
何が不満で彼らは動かないのだ、と玄宗が側近(宦官だよ)に訊くと、
やはり楊貴妃様が、という答えが返る。
玄宗は、悪いのは朕であって貴妃ではない、と一度は言ったのだが、
そう言っても軍隊が動かないのはどうしようもなく、側近に紐を渡した。
これで楊貴妃を絞殺せよ、ということだ。
楊貴妃が死んだことが伝わって、軍は初めて動いたそうだ。
失意の玄宗は引退して、帝位を太子に譲ったのだが、
楊貴妃の死を伝え聞いて、反乱者の安禄山が大泣きをしたという。
・・というわけで、ろくな末路がない。
これを読んでいるのが女子なら、
もう少し美人に生まれたかった、とか思ったことがあるかもしれない。
ものには限度がある、ということだな。
中国だけじゃない。
クレオパトラは、乳房をコブラに噛ませて自殺した。
ジャンヌ・ダルクは火あぶりの上、遺灰をセーヌ川に撒かれたし、
マリー・アントワネットはギロチンだ。
美人もほどほどの方がいい、ということかな。
う~ん、
こっちの方が、ヤバい人と思われるかもしれない。