中国史17.金と南宋(1127~1279)
①金
首都は燕京。(今の北京、燕の首都だったからこの名前)
宋の「皇帝しか見られない石に刻んだ遺訓」が広まったのも、
金が開封を陥落させた時に、バラしてしまったからだ。
(その前から皆、殺されないのでだいたいは感じていた)
ただ金も、遼を滅ぼした時に致命的な失敗をしている。
遼の皇族の耶律大石が、中央アジアに逃れて西遼を建国したことだ。
西遼はイスラムからカラ・キタイ(黒い契丹)と呼ばれ、
君主はグル・ハン(世界の王)と呼ばれる大国になる。
問題は場所だ。
金だって貿易で利益を得たいのだが、
シルクロードのど真ん中に金の敵国である西遼が存在する。
金が何度も宋との約束を守って撤退しようとしたのも、
人口的かつ財政的に、中国全土を支配することは難しかったからだ。
金(きん)には金(かね)がなかったのである。
したがって、宋が約束を守れば、そして背信行為をしなければ、
遼が金に代わるだけで済んだ可能性が高かった、と私は思う。
歴史の if に過ぎないが。
第一、遼が簡単にやられたのは、中国化して弱くなったからだ。
北方騎馬民族は、馬に乗っていてこそ強いのだ。
仕方がないので、漢民族統治のため全真教という道教の力を借り、
交鈔という紙幣も発行した。
金にも、小堯舜と呼ばれた名君が現われるが、
中国化して弱くなり、最終的にモンゴルに滅ぼされることになる。
②南宋
徽宗欽宗が北に拉致された時、
欽宗の弟の趙構は、南に逃れて高宗として即位した。
首都開封には金がいるので、実質の首都は臨安(杭州)だ。
南宋には、中国の国民的英雄岳飛が現われる。
故地奪回を主張する主戦論者で、何度も金を撃退しているのだが、
和平論者の秦檜に謀殺されてしまい、南宋は金と紹興の和議を結ぶ。
(1142、淮水を国境とし、金が君、宋が臣、歳幣も宋が出す)
なぜここだけ主戦論が封殺されたかというと、
金から欽宗を奪還したら、高宗は帝位を奪った立場になるからだ。
皇帝の周りの貴族や宰相たちも同じで、屈辱的でも和平論になる。
特に女は露骨で、高宗の正妻を返さないように金に買収工作した。
高宗は、売春婦になった妻が死ぬまで皇后の座を空位にしていた。
悲しい夫婦の物語。
秦檜は、中国史上最悪の売国奴と評価されている。
今でも秦檜夫婦の石像に、中国人はツバを吐く。
だがその後の南宋は、金と違って海上貿易で大発展した。
半分は秦檜の功績と思うのだが、中国人は認めない。
(金の名君と同時期に、南宋にも名君は出ました)
中国人の人物判定は単純である。
徹底抗戦して死んだ人(諸葛孔明、岳飛、文天祥)→英雄
和平屈服を唱えた人(秦檜、汪兆銘)→売国奴
汪兆銘の子は、父ほどの愛国者はいなかった、と言っている。
言うだけなら誰でも言えるのだ、まだまだ言論の自由の害は続く。
モンゴルが金を攻め、金が南宋に助けを求めた時、
失地奪還のチャンス、と宋はモンゴルに加担して金を滅ぼした。(1234)
モンゴルとは和約を結んだのだが、
相手は野蛮人だ、金が滅んだなら開封も洛陽も宋のものだ、と、
言うだけは勇ましく勝手に北を攻めても、もう岳飛はいないのだ。
またまたモンゴルを激怒させ、南宋は崖山の戦いで滅ぶ。(1279)
忠臣文天祥がゲリラ戦をするが敗れ、中華は初めて完全支配された。
宋が滅びたのは言論の自由が原因だが、
そういう宋だから、東晋のようにはならず、忠臣がたくさん出た。
だが、勇ましいことを言う連中は、最後の役には立たなかった。
◎宋の文化◎
詩では蘇軾(蘇東坡)が名高い。
楽曲に歌詞をつける「詞」も流行した。
だから今でも、歌詩ではなく歌詞なのだ。
ただ、教科書には出てこないが、一番有名なこの時代の詩は、
文天祥がモンゴルに捕らえられて死ぬ間際に書いた「正気の歌」だ。
宋への忠誠心が溢れる名作と評価されている。(追加1参照)
文章では、唐代の韓愈と柳宗元に、
欧陽脩、蘇洵(蘇軾の父)、蘇軾、蘇鉄(弟)、會鞏、王安石、
を合わせて唐宋八大家、という。
欧陽脩の「新唐書」「新五代史」が有名。
『東坡肉(トンボウロウ)』
豚の角煮のこと。
蘇東坡が左遷中に考案したという伝説から名が付いた。
本格的な作り方は「美味しんぼ」参照。
仏教は変わらず盛んで、浄土宗と禅宗が完成するが、
これは世情不安によるわけで、日本で言うなら鎌倉的だ。
儒教は、南宋の朱熹が朱子学を始めたことで、極盛期をむかえる。
朱子学の大義名分論に華夷の別(人種差別論です)が加わって、
宋の没落に繋がった面もあるのだが。
また、陸九淵(陸象山)のように朱子学と対立する儒者も出た。
苦手な美術方面は、
院体画(北画)が宮廷的な貴族趣味で、
文人画(南画)が士大夫的な学生趣味だったらしい。
ただ宋では美術より陶磁器(宋磁)が有名。
景徳鎮が代表産地で、青磁と白磁に分けられ、
ヨーロッパ貴族は、これを所有することがステータスに繋がった。
特記事項は三大発明だろう。後漢の製紙法と合わせて四大発明だ。
火薬:唐末、北宋から使われ始め、金が戦争兵器にする。
羅針盤:漢のころから。南宋の海上貿易で一気に実用化した。
印刷術:木版印刷術(つまり版画)は隋唐の頃の発明だが、
宋代に活字を使った活版印刷が考案される。