数学帝國への逆襲 (西春自習質問教室のブログ)

「西春自習質問教室」は、高校生のための自習と質問に特化した教室です。 電話 0568-65-8104

中国史15.五代十国

国史15.五代十国(907~960)

f:id:nishiharu_jsk:20200129182721j:plain

五代が地方政権にすぎないことがわかります

朱全忠の梁(後梁から、五代は始まる。
後梁後唐後晋後漢後周
平均11年。次の王朝ができると前の皇帝一族は皆殺し。
ネズミでも何度か電流を流したら、学習してそっちには行かないぞ。

予想がつくと思うけど、
後唐は「李」、後漢(こうかん)は「劉」という姓の人がつくった。
もちろん、唐朝の李や前漢後漢(ごかん)の劉とは何の関係もない。

ひとつだけ擁護しておくと、
黄巣長安を攻めた時に、逃げ残った官僚や役人を虐殺して、
朱全忠に至っては、全員まとめて黄河に放り込んでしまったので、
安定王朝にしたくても人材がいない、という理由もあった。

旅行記8】
黄河や長江を「海のようだ」と言う人は、下流にしか行っていない。
確かに河口付近は海水が入り込み潮の香りがするが、中流域は全然違う。
イメージとしては、
木曽川下流の川幅で、数倍の水が自動車と同程度の速さで流れている、
と思えば、近いかも。
全盛時のイアン・ソープでも、溺れ死ぬと思う。

しかも、ところどころに滝があり、やはり入場に保険金が要る。
滝の横には、安全? 何それ? と言いたげな細いロープしかない。
黄河第二の滝の間近で写真を撮った時が、私が死に一番近づいた時だ。
旅行記8終わり)

後梁を始め、誰も唐の後を継いだ全国政権なんて認めないので、
地方の節度使が次々と自立し、主なものを十国あつかいしている。

特筆すべきは一点。
後晋を建てた時、後唐を滅ぼすために契丹(遼)の力を借りたので、
見返りに今の北京一帯(「燕雲十六州」というヤツ)を割譲してしまい、
この土地は失地として、ここから先に重要な意味を持つようになった。

契丹は、唐が滅びた頃に耶律阿保機(太祖)が出て大帝国を建設し、
二代目太宗になった頃で、この後、国名をと中国風にする。
独自の契丹文字も作り、中原進出に意欲を見せるようになった。
遼に始まり、金、元、清は、征服王朝と呼ばれている

さて、五代にも名君が現われる。
後周の二代目世宗である。
彼は、脱税目的で僧になる者を強制的に還俗させるなど内治を整え、
北魏武帝北周武帝、唐武宗と合わせて、三武一宗の法難という)
全国統一に乗り出したまでは良かったのだが、病気で死んでしまう。

世宗はまだ若く、三代目の幼帝では駄目だと思った武将たちが、
世宗第一の武将だった趙匡胤を皇帝に擁立し、
唐宋と、唐と併記されるまでになる宋が始まることになる。