中国史20C.清(再生失敗編)
十代同治帝から。やれやれ、自分で決めたノルマ達成です。
清朝第十代の同治帝は、生母の西太后(咸豊帝の側室)と、
曾国藩、李鴻章、左宗棠の意見を取り入れ、洋務運動に力を入れた。
やっと清も近代化を考え始めたわけで、
新式装備の軍隊を率いた左宗棠が西北方面の反乱を鎮圧したりして、
少しだが世の中が安定し、同治の中興と呼ばれる時代になった。
それでも中体西用といって、中国の考え方で西洋の技術のみ取り入れたので、
近代化しながら派閥争い、という形になってしまった。
5歳で即位した同治帝は、19歳で死ぬ。
太子密建なんてできるわけもなく、
西太后が擁立したのは従弟の第十一代光緒帝だ。
満年齢で、3歳である。
洋務運動は少しずつ成果を出し、
清仏戦争では、フランスと互角以上に戦ったのだが、
戦後の天津条約で、ベトナムにおけるフランスの宗主権を認めてしまった。
[天津条約3つ]
1.天津条約:アロー戦争の講和条約。遵守されず攻められて北京条約の流れ。
2.天津条約:清仏戦争の講和条約。清は互角に戦ったのに敗戦国の内容。
3.天津条約:李鴻章と伊藤博文。朝鮮に兵を出す時は通知し合う、という内容。
それでも李鴻章の北洋軍は東洋一の規模になり、
西洋諸国も清の成長を認めつつはあったのだが、
隣にもっと早く西洋化した国があった、大日本帝國だ。
日の出づる国が、名前の通り日の出の勢いで発展しつつあった。
日清戦争が、甲午農民戦争(東学党の乱)から始まって、
日本の勝利に終わったのは、中学の歴史で習っていると思う。
西洋諸国のひとつとして、日本の勝利を予想した国はなかった。
それがわかっていたのは日本と、他ならぬ李鴻章だ。
日清戦争は、実質は日本と李鴻章の日李戦争だったのだから。
【頤和園】
乾隆帝が改装した別荘を、西太后の隠居所として再改装したもの。
日清戦争の敗因に、西太后がカネを頤和園改修に使いすぎたことがある。
ついでだが、日本にはその名前を持つ中華料理店がある。
炒飯が美味い。
日清戦争の敗北は、洋務運動の挫折を意味した。
成人した光緒帝は、政体の革新を決意し、
康有為や梁啓超ら若い官僚の意見で、変法運動(変法自強運動)を始めた。
洋務運動は、中国伝統の政体に西洋の技術のみ取り入れよう、というもので、
変法運動は、政治形態から改革しないといけない、というものだ。
モデルになったのはピョートル大帝の改革と、敗戦相手の日本の明治維新。
戊戌の年(ぼじゅつ、1898)に始めたので、戊戌の変法と呼ばれるが、
立ちはだかったのは、洋務運動に熱心だった西太后だ。
つまり西太后は、洋務運動の内容なら頭がついていったのだが、
変法は理解できず、ただ自分の権力が奪われるだけだと思ってしまった。
西太后は、変法派を弾圧処刑する、戊戌の政変だ。
光緒帝は軟禁、康有為は日本へ亡命、
戊戌の変法は、百日維新とも呼ばれる。(三か月で潰された)
繰り返すが、弾圧処刑だ。
つまり、趙匡胤以来の「言論を理由に殺さない」という原則も崩れた。
【蒼穹の昴】
私はずっと、日本の俳優や女優を小馬鹿にしていた。
たまたま美人やイケメンに生まれた連中が、もっとチヤホヤされたいと、
わざとらしく不出来な学芸会レベルのもので大金を稼ぐこと、と。
(今でもそっちの方が多いとは思ってるけど)
その私の蒙をはらってくれたのが、日中合作ドラマ「蒼穹の昴」だ。
俳優はほとんど全て中国人なのだが、(日本語に吹き替え)
主役の西太后のみ田中裕子が演じている。(中国ではこっちが吹き替え)
田中裕子は「おしん」の女優、中国や東南アジアで超有名だ。
光緒帝を演じる俳優が、中国語で喋っているのに、
田中裕子西太后は日本語で「わらわは~じゃ」とか言っている。
それで普通に会話、というより言い合いが成立している。
「これが役者魂というものか」と私は初めて彼らの根性を認めた。
全編見てみたいのだが、今はその時間がない。
さてここから欧州諸国は、清の国内の乱れに乗じる。
ドイツが宣教師殺害事件をきっかけに、膠州湾(山東半島の南)を租借し、
ロシアに至っては、特に理由もなく旅順と大連を租借してしまった。
租借はつまり「借りてるだけだ」という言い訳、不良少年と同じだ。
強奪割譲とそんなに変わらない、鉄道を勝手に作るのだから。
清の植民地化は、各国が作る鉄道とともにあった。
(BGM推奨、Ozzy Osbourne「Crazy Train」)
このあたりの西太后は、末期の玄宗と同じく、老害でしかない。
1900年に「扶清滅洋」を掲げた義和団の乱が始まると、
西太后は義和団の側に付き、諸外国に宣戦を布告してしまった。
義和団というのは、義和拳という拳法を中心に集まった集団だ。
拳法と言っても太極拳のように、健康目的のラジオ体操系。
成立時に「神拳」という名の拳法を取り込んでいるが、北斗神拳ではない。
孫悟空を理想の一人としているが、かめはめ波も元気玉も使えない。
最新のライフル銃が行き渡った連合軍に、勝てるわけがないだろう。
[ライフル銃]
銃身に施条(これをライフリングという)がある銃。
弾丸がジャイロ回転するようになり、射程も精密さもはるかに増した。
今の銃は、すべてこれ。
八か国連合軍(主力は日本)が北京に迫ると西太后は逃げ、
八か国相手の北京議定書が結ばれ、莫大な賠償金を課せられた。
清の植民地化はさらに進むことになる。
西太后は、日露戦争の日本の勝利にも影響され、
自分が弾圧したはずの変法自強運動をもう一度始めたが、
もう遅い、としか言いようがなく、漢民族は革命の用意をしていた。
光緒帝は毒殺され、西太后がその翌日、死ぬ間際に指名したのが、
清朝かつ中華皇帝最後、始皇帝の始めた皇帝を終わらせた男、
ラストエンペラー宣統帝愛新覚羅溥儀である。
[清露密約]
日露戦争は、あからさまに清の故地が戦場になっている。
日清戦争後、李鴻章がロシアと密約を結び、
どちらかが日本に攻められたら協力する、というはずだったのだが、
その後のロシアの方が満洲侵略が露骨だったので、約束を無視した。
[ロシア不敗の将軍について]
日露戦争は、奉天会戦や日本海海戦の勝利で、日本優勢のまま終わった。
国内では、モスクワまで攻めろ、とか威勢が良かったらしい。
ポーツマス条約に不満で、日比谷焼き討ちが起こったことは有名だ。
だが、日本の国力が、とか、戦費が、とかは置いても、
いかなる国もロシアには勝てない事情があるのだ。
なぜなら、ロシアには絶対不敗の将軍がいるからだ。
その無敵の将軍の名を「冬」という。
ロシア軍は負けそうになると、少しずつ反撃をしながら冬を待つ。
そして冬になれば、ロシア軍は慣れている上に地元だが、
攻撃してきた側は凍傷になり、確実に戦闘不能に陥るのだ。
ナポレオンもヒトラーも、この「冬将軍」には敵わなかった。
日本自身もその後「シベリア出兵」で思い知ることになる。
まとめよう。
洋務運動は太平天国後で、曾国藩、李鴻章、左宗棠の提案。
中体西用、政体は変えずに西洋の技術のみ取り入れるというもの。
同治帝のころなので同治の中興と呼ばれたが、日清戦争で頓挫した。
変法自強運動は、康有為と梁啓超の提案、日本の維新がモデル。
光緒帝が始めようとしたが、西太后に粉砕され、
義和団に味方したら、諸外国に叩きのめされて清朝の命運は尽きた。
こういう流れだ。
[デッシー君たち]
曾国藩は湘軍を率いて太平天国平定に活躍した。
その弟子が淮軍を率いていた李鴻章で、洋務運動で北洋軍となったが、
日清戦争で北洋艦隊を潰されて、力が衰えた。
そのまた弟子が袁世凱で、孫文と交渉し大統領から皇帝へ。
さらにそのまた弟子が、段祺瑞や馮国璋、後の軍閥トップだ。
清の皇帝順まとめ。
初代太祖ヌルハチ:女真統一。八旗兵で山海関を攻める。
二代太宗ホンタイジ:モンゴル征服。国名を清、民族名を満洲にする。
三代世祖順治帝:中華征服。辮髪の強制。
四代聖祖康煕帝:三藩の乱。台湾征服。ネルチンスク条約。
五代雍正帝:軍機処設置。地丁銀。キャフタ条約。
六代乾隆帝:清の全盛。マカートニー使節団。
七代嘉慶帝:白蓮教徒の乱。アマースト使節団。
八代道光帝:阿片戦争。
九代咸豊帝:太平天国の乱。アロー戦争。アイグン条約。
十代同治帝:洋務運動。同治の中興。西太后の摂政。
十一代光緒帝:イリ条約。日清戦争。変法自強運動。日露戦争。
十二代宣統帝溥儀:清終了。
◎清の文化◎
考証学に銭大昕が出て、小説「紅楼夢」(曹雪芹)が書かれたが、
何と言っても、清代は西洋人がもたらした文化だろう。
マテオ・リッチ(利瑪竇)の世界地図「坤輿万国全図」と、
アダム・シャール(湯若望)の「崇禎暦書」は明代だが、
清代になって、フェルビースト(南懐仁)は大砲を作り、
ブーヴェが「皇輿全覧図」という中国の実測地図を描いた。
(↑康熙帝の伝記を書いた人)
カスティリオーネは画家として活躍し、円明園の設計も手がけた。