数学帝國への逆襲 (西春自習質問教室のブログ)

「西春自習質問教室」は、高校生のための自習と質問に特化した教室です。 電話 0568-65-8104

中国史20B.清(続き)

国史20B.清(没落編)

続きです。七代嘉慶帝からですね。

七代嘉慶帝が、他の皇帝と比べて特に劣っていたとは思えないのだが、
阿片流入と世情不安が絡まり合って、清は暮らしにくい国になっていった。
順を追って話そう。

世情不安の根本原因は、最盛期が康熙雍正乾隆と長く続きすぎたことだ。
繰り返しになるが、こういうことは良いことばかりではない。
総人口が2億から4億へと倍増し、単純に半分の耕地しか得られなくなる。
加えて阿片流入で銀が不足し高額になれば、
税は銀納なので、何もしなくても増税と同じことになってしまった。

最初に起こった白蓮教徒の乱は、老害乾隆帝の部下への不満からだが、
次に起こった天理教徒の乱(白蓮教の一派)でも、八旗兵は役には立たず、
民間義勇兵郷勇が鎮圧に活躍した。
つまりこれは、後の軍閥へと繋がっていく

[1811年の大彗星]
天理教徒たちは、空に現われた大彗星を清を倒せる吉兆と見たらしい。
ただの天文現象で、今なら私は喜んで山奥まで観に行くと思う。
大陸の反対側では、ナポレオンがやはりこれを吉兆と見てロシアを攻め、
彼の没落の原因をつくってしまった。

f:id:nishiharu_jsk:20200220172829j:plain

これは1965年の大彗星、池谷関彗星

嘉慶帝は真面目な人だったようで、反省文を発表し立て直そうとしたが、
イギリスのアマースト使節には、三跪九叩頭を要求して会おうとしない
阿片の密輸は増え、イギリスは三角貿易で利益を得る。

[三跪九叩頭]
中華帝国において、皇帝に会う時の礼儀。
三回土下座して、そのたびに三回ずつ頭を床に打ちつける。
陛下を見るなんて恐れ多くてできません、という態度だ。
これを超えるものは、カイジ鉄板焼き土下座以外にない。
マカートニーの時は、乾隆帝の誕生祝いということで免除したが、
アマーストも、国王陛下がそれをしたと同じになる、と拒否した。

[Year Without A Summer]
嘉慶帝の不運は、上に書いた話だけではない。
1815年のタンボラ火山の噴火で、地球全体が冷えて作物が採れないのだ。
1816年はヨーロッパで「夏のない年」と呼ばれ、
冷害で食べるものもなく、人々の心まで暗くなり、
小説も「フランケンシュタイン」「ヴァンパイア」が書かれた。

八代道光帝は、天理教徒の乱の時に自ら鉄砲をとり鎮圧した英雄で、
康熙帝の再来、と期待された人だ。
阿片は、認めて徴税しようという「弛禁論」もあったが、
道光帝は「厳禁論」の林則徐欽差大臣(≒外務大臣)に任命し、
断固とした阿片の撲滅を命じた。

林則徐は広東に赴くと、阿片を没収して海に投じ、
食塩と石灰で化学反応を起こさせて処理すると、
阿片を持ち込まないという誓約書を出さない商人を退去させた。
怒った阿片密輸業者は、本国イギリスに助けを求める。

私は、歴史に正邪の概念を持ち込む習慣がないのだが、
阿片戦争(1840~)は例外で、イギリスの側に擁護できる部分がない。
せいぜい、ジェントルマンたちも良心が咎めたのか、
議会で「恥ずべき不義の戦争」と演説をした人がいたり、
阿片戦争開戦の議決は僅差だったりしたことくらいだろう。
(当たり前だな、阿片吸引は本国イギリスでも犯罪なのだから)

道光帝が、三藩の乱の時の康熙帝と異なったのは、覚悟だ。
イギリス軍艦は、林則徐が待ち構えていた広東を無視、
上海を経由して黄海に入り、北京の近くの天津に現れる。
それだけで道光帝はビビってしまい、林則徐を解任してしまった。

考えてもみてくれ。
相手のイギリスは、地球の反対側から来ているのだ。
しかも兵隊はインド人の傭兵、セポイシパーヒー)で戦意は低い。
もし康熙帝なら覚悟を決めて戦っただろうし、勝てたかもしれない。
残念ながら、康熙帝とは器が違ったとしか言いようがない。
南京条約が結ばれ、戦争はいったん終わる。

南京条約の内容は、
1.香港割譲
2.賠償金2100万ドル
3.5港開港(広州、福州、廈門、寧波、上海)
4.公行の廃止(公行は貿易独占業者の呼称)

さらに翌年の虎門寨追加条約で、
関税自主権の放棄」「領事裁判権」「最恵国待遇
という、後の日本も痛い目にあった悪名高き内容が追加された。

イギリス君だけずるい、と、
アメリカとは望厦条約、フランスとは黄埔条約
という同様の条約を結んだ。
今の言い方なら「終わりの始まり」というヤツだな。
(BGM推奨、Bon Jovi「Bad Medicine」)

[阿片]
芥子の実に傷を付けると取れる、化学的にはアルカロイドの一種。
精製したものをモルヒネと呼ぶ。
国史に阿片が出てこなくなるのは、モルヒネに替わっただけ。
完全禁止は、第一次大戦後だ。
今では、少し構造を変えてヘロインになっている。
現代中国では阿片戦争の過去から、密輸したら死刑である。

f:id:nishiharu_jsk:20200220173450j:plain

こうやって採る 誰が見つけたんだか

[人類を滅ぼすもの]
この先人類が滅ぶとしたら、その原因として考えられるものは、
「核戦争」「大隕石」「破局噴火」がトップ3なのは間違いない。
補欠候補に「殺人ウィルス」があるかな。
でも、あまり知られていない超懸案があと2つある。
ひとつめは「AI」。
自我を持つ人工知能が現れ、人類を邪魔者と考えたら、
今現在のコンピュータの持つ能力でも、人間の敵う相手ではない。
ふたつめは「合法ドラッグ」。
考えてみてくれ、副作用も常習性も全くない麻薬ができたとしたら。
どんな嫌なことがあっても、そのクスリがあれば幸せだ。
誰が勉強する? 誰が働く? 誰が恋愛する? 誰が子育てする?
核戦争は、頑張れば防ぐことができるからまだマシってことさ。

阿片戦争の結果は、日本にも驚きをもって伝えられ、
幕府は、異国船打払令薪水給与令に改め、
開国維新へと繋がっていった。
阿片は、安政五か国条約の時点で輸入禁止である。

阿片に賠償金のための重税が重なれば、当然乱は起こる。
太平天国の乱(1851~)だ。

洪秀全は、科挙に何度も落ちて、キリスト教のパンフレットを見た程度の人で、
それが神様の夢を見たとか言って拝上帝会をつくり、乱を起こしたのだが、
滅満興漢のスローガンと清朝への不満で、一気に広がった。
天王となった洪秀全太平天国を国号として、南京を天京と名を変えて首都とし、
天朝田畝制度を掲げたので、民衆が支持するようになっていった。

後に孫文が憧れ共産党も評価したように、近代的な性質が太平軍にはあった。
辮髪を切り、男女は平等、一夫一婦制、纏足は禁止、貧民に食料を配る等だ。
しかしながら、このあたりから太平天国は内紛が始まり、
城を落としたら虐殺したり、幹部の愛人を選んだりと腐敗していった。

[纏足](てんそく)
唐の末期に始まった風習で、明では完全に定着していた。
女の子が生まれると、足の先小指側を内側に折れるまで(!)曲げて固定、
布できつく縛ってそのまま成長させ、変形させるというもの。
当然、上手く歩けなくなるが、そのヨチヨチ歩きが可愛いと言われた。
子供が可哀想だからとそれをしないと、成長した後に大足女と呼ばれ、
嫁の貰い手がないので、逆に娘から恨まれることになる。
清にもその習慣はないので禁令は出したのだが、なくなるのは20世紀だ。

はっきり言うならこれは、女性の愛玩動物化だ。
野蛮な風習だって? そうだよ。
目の下にヒアルロン酸を、胸にはシリコンを入れ、
顎を削って目尻を切り開いたアイドルを可愛いという現代人に、
それを言う資格があるのならね。

さて、清の側だが、太平天国に苦戦していた頃、
悪の帝国イギリスは、さらなる権利の拡大を狙ってアロー号事件を起こした。
日本ではアロー戦争(1856)と呼ばれるが、中国では第二次阿片戦争と呼ぶ。

イギリス人の乗っていたアロー号が拿捕された件で難癖をつけて始めた戦争で、
太平天国に苦戦していた清が、対応できるわけがない。
英仏連合軍に都合の良い天津条約が結ばれ、いったん休戦する。
清の側にも猛将はいたのだが、九代咸豊帝は徹底抗戦を宣言しながら、
自分はとっとと熱河(名前は凄いけど長城近くの町)に逃げてしまった。
北京に入ったフランス軍は、円明園を破壊略奪する。
そしてさらなる不平等条約北京条約が結ばれる。

[ハリー・パークス]
アロー戦争で清に難癖をつけたイギリス領事。
その後日本に来て、日本人も清国人のように怒鳴りつければよいだろうと、
わめきちらしたら、後藤象二郎から「よろしい、ならば戦争だ」と言われ、
謝罪して交友を結び、後に後藤は暗殺者からパークスを助けることになる。

天津条約内容
1.外国公使の北京駐在
2.キリスト教の布教容認
3.外国人の旅行通商の自由
4.開港場の増加
5.賠償金

北京条約内容
1.賠償金
2.イギリスに九竜半島南部割譲
3.開港場の追加

まとめ
南京条約(1842)→ 阿片戦争
天津条約(1858)→ アロー戦争
北京条約(1860)→ 天津条約を清が認めなかったから
だんだん北上していく、簡単だろ。

円明園
康熙帝からもらった庭園を、乾隆帝ヴェルサイユ宮殿を模して改造したもの。
フランス軍が競って略奪し、今は廃墟しか残っていない。
今までやりたい放題の悪の組織イギリスは、一応これは止めたらしい。

最恵国待遇から、アメリカも同様の条約を結んだが、
特にロシアは、1858年の愛琿(あいぐん)条約を拡大させ、
北京条約を結んで沿海州を領土化した。
そしてウラジオストク(ウラジヴォストーク、東方の支配者の意)を建設する。

清は弱っていたのだが、太平天国も内紛の末に弱体化していた。
平定のためにに活躍したのは、やはり郷勇だ。
代表は、曾国藩率いる湘軍とその弟子の李鴻章率いる淮軍だ。
そこに、清が潰れたらせっかくの有利な条約が無効になると、
アメリカ人ウォード常勝軍(清からもらった名前)を率いて参加する。
常勝軍のクセにウォードはすぐ戦死して、イギリス人のゴードンが引き継いだ。
洪秀全は病死し、太平天国はやっと鎮圧されることになる。

[湘軍]
「湘」というのは湖南省の雅名、一文字で「湖の南」という意味。
つまり日本の湘南は「湖の南の南」、頭痛が痛いみたいな表現だ。
スラムダンク湘北高校にいたっては、湖の南の北、湖の中にあることになる。

まとめよう。
このあたりがわかりにくいのは、同時進行だからだ。
七代嘉慶帝から清がおかしくなるのは、阿片流入が主因で、
八代道光帝が取り締まろうとしたら阿片戦争南京条約
その後の社会の乱れから太平天国が起こり、
まだ不満な英仏連合軍がアロー戦争を起こした。
アロー戦争後に湘軍淮軍を中心に太平天国が平定された。
こういう流れだ。

乱平定に活躍した曾国藩は、天下を狙える立場にあったのだが、
体調に自信がなく、そそのかされても意に介さなかった。
あくまで清朝の臣として、立て直しに努力することになる。