数学帝國への逆襲 (西春自習質問教室のブログ)

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中国史21.中華民国

国史21.中華民国

再開します。あと残るは、中華民国中華人民共和国です。

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国民党の北伐

先に書いておくが、私は孫文を評価していない。

夏から始めたナンバリングを続けるということは、
私は中華民国中華人民共和国も、王朝のひとつに数えているわけだ。
皇帝の代わりに、中国共産党がいるだけだな。
だが、王朝創始者として、孫文は下の下なのだ。
王朝を始めた人は、武将だ。(始皇帝のみ最初から王様)
孫文以外で、戦もできずに王朝を始めたのは、王莽しかいない。
結果は見えていた、ということだ。

孫文が、革命を起こそうと活動を始めたのは、洋務運動後半だ。
日清戦争敗北をきっかけに蜂起をしたのだが、バレて亡命する。
義和団の時も含めていくつか失敗して、
「外国にいて同胞に危険な反乱をさせる」という批判も出た。

だいたい孫文魯迅も、辮髪を「東京で」切っている。
彼らを中国では「中国革命の父」とか「中国近代文学の父」と呼ぶらしい。
日本語にはもっと相応しい言い方がある、ヘタレ、だ。

孫文興中会、光復会、華興会を統合して中国同盟会を「東京で」つくり、
三民主義を発表して本格的な革命活動に入るが、
彼が有名になったのは、イギリスで捕まりかかって騒ぎになったからで、
彼の計画した反乱が成功したわけではない。

辛亥革命(1911)は、孫文の功績ではない。
列国の真似をしてあちこちに作られた鉄道を、清が国有化しようとしたので、
作った側が反乱(武昌蜂起)を起こし、清の勢力を駆逐してしまっただけだ。

帰国した孫文を民衆は大総統に選ぶが、
清は北洋軍の袁世凱に、討伐を命じた。
戦争のできない孫文が、戦争のできる袁世凱に勝てるわけがない。
押しまくられた末に、袁世凱に大総統を譲るということで手を打つ。
袁世凱宣統帝溥儀を退位させ、清はそこで滅んだ。

[皇帝溥儀]
その後、愛新覚羅溥儀は、清の復活を期す勢力から復位させられ、
さらには大日本帝國の傀儡である満州国の皇帝にもなった。
三回も皇帝になった珍しい人だが、
中華皇帝で初の離婚を経験した人でもある。
しかも正妻(つまり皇后)には浮気されるわ、踏んだり蹴ったりだ。

孫文はこの頃、中華革命党をもとに中国国民党を作った。

党首の宋教仁を暗殺し、独裁しようとした袁世凱に対し、
孫文たちは第二革命を起こすが、またもや負けて日本に亡命する。
そしたら、その日本が袁世凱に「二十一箇条の要求」(1915)を突きつけ、
流れが変わった。

受け入れた袁世凱から民心は離れ、受け入れ反対の五・四運動を起こす。
その後袁世凱は皇帝になるが、すぐに反対勢力が第三革命を起こした
諸外国からも反対され、袁世凱は「中華帝国」を撤回して病死する。

・・という流れになると、袁世凱が悪者みたいなので擁護しておく。
袁世凱孫文毛沢東に共通する考え方は、
「強大な権力が上になければ中国はまとまらない」ということだ。
孫文も、国民党員には絶対服従を要求したし、
毛沢東は・・、22で語るよ。

その後は、北洋軍閥をまとめられる人は現われず、
段祺瑞張作霖などが勝手に周りの土地を支配する分裂期になる。
軍閥の分裂期は、五胡十六国五代十国とそんなに変わらない。

この頃の孫文共産主義にも影響され、連ソ容共を唱えるようになる。
第一次国共合作共産党との共同路線になるが、1925年に孫文は死ぬ。
「革命いまだならず」と、名言創作能力だけは陳勝レベルだ。

後継者として蒋介石汪兆銘が対立したが、
汪兆銘は、孫文の参謀で発表文を作っていた人)
蒋介石は、もともと陸軍出身で戦争ができるのだ。
(清の陸軍だけでなく、日本の陸軍にも勤務した)
そこがヘタレの孫文とは違う。
広東に国民政府を樹立させて、北伐を開始し、
上海クーデター共産党勢力を追い払った蒋介石は、
1928年には、軍閥の根拠地である北京を陥落させた。

また、そしたら、なのだが、
北京から撤退した張作霖を、日本軍が爆殺してしまい、
またまた流れが変わった。
張作霖は、日本寄りの軍閥だったのだが、
跡を継いだ張学良は、親を殺された恨みから日本の言うことを聞かない。
自分の軍団を維持した上でだが、蒋介石に合流してしまった。

日本はその後、無理矢理満州国を建国するが、
中華民国は国連に提訴し、日中は本格的に戦争に・・、となるはずがならない。
蒋介石は「敵は倭寇(日本)ではなく匪賊(共産党)だ」という考えだったからだ。

ところが、その共産党と戦っていた張学良を督戦に来た蒋介石が、
張学良に拘束され、共産党第二次国共合作をせざるをえなくなった。
西安事件

蒋介石は拘束を解かれてからも、国共合作を放棄しなかったので、
彼自身、手を組まないと大日本帝國には敵わない、と思っていたのだろう。
しかしながら、日本はもっと強く、国民党も共産党も押しまくられ、
汪兆銘に至っては、南京に日本の傀儡政権を作ってしまう
金や元、清に国土を征服された時と、そんなに変わらない。

だがここで、金や清の時と全く別の流れになる。
大日本帝國が、アメリカに負けて消滅してしまったのだ。

ではまた、ってんで、国民党と共産党は内戦を始めたが、(国共内戦
国民党の方が大日本帝國軍からの被害が大きかった上に、
共産党は農村部の支持を集め、ソビエト連邦からの支援も受けていた。

蒋介石が言った「日本軍は軽い皮膚病、共産党は重い内臓疾患」は的中し、
国民党は敗れ、台湾に逃げることになった。
鄭成功と同じ末路をたどるのか、というところだったのだが、
アメリカが国民党の側に付いたことで、生き残って今に至る。

なぜ小国台湾が、中華人民共和国に吸収されずに生き残れるのか。
北京から台湾に逃げる時に、金銀財宝を全て持っていったからだ。
そのカネで軍備を整え、アメリ軍需産業を味方にして、今も繁栄している。
中国本土から見たら業腹なので、共産党の宣伝もあって本土の人たちは、
オレたちが貧乏なのは蒋介石のせいだ、ということになっている。