数学帝國への逆襲 (西春自習質問教室のブログ)

「西春自習質問教室」は、高校生のための自習と質問に特化した教室です。 電話 0568-65-8104

中国史、南宋追加1

国史南宋追加1「正氣の歌」

日本の歴史教科書にはたいして載っていないのですけど、
中国の国民的英雄といえば岳飛で、尊敬の対象としては諸葛孔明文天祥です。
今回は、文天祥について。

滅びる側の家臣で有名な人はどこの国にもいて、
例えば日本なら、石田三成新選組あたりになると思う。

それでも、もし関ヶ原が石田勝利に終わったなら、
豊臣政権下で、石田三成鎌倉幕府の執権のような立場になったと思うし、
新選組近藤勇なんて、戊辰戦争に勝って甲州の大名になるつもりだった。
板垣退助率いる新政府軍に瞬殺されたけどね)

勝ったとしても、自分が取って代わろうとしなかったであろう二人が、
中国では、諸葛孔明文天祥だ。

諸葛孔明は、しなかったであろうどころか、しなかった。
なぜなら蜀の昭烈帝劉備玄徳は、遺言として、
「子の劉禅が皇帝に相応しければ補佐をし、相応しくなければ取って代われ」
孔明自身に言ったので。
(そう言われると逆にできない心理を突いたのかもしれないが)
劉禅はまれにみるほどの愚帝だったが、孔明は死ぬまで忠節を尽くした。

文天祥は、南宋の遺臣だ。
ゲリラ戦を展開していたが、元に捕まったらすぐに宋は滅びた。
フビライ文天祥の人格と能力を惜しみ、説得を続けたのだが、
文は、ただ死を賜らんことを、と言うのみだった。

この時に詠んだのが、有名な「正気の歌」だ。

天地有正氣 雜然賦流形
下則爲河嶽 上則爲日星
で始まる長い歌で、冒頭のみ意味を書くと・・

天地に正氣有り 雑然として流形を賦く
下りては則ち河嶽と為り 上りては則ち日星と為る

この世界には正氣があり、いろいろな形を取る
地に下りては大河や山嶺となり、天に上っては太陽や星になる

つまり、
文天祥の言う「正氣」を、原子やクォークと考えれば、
考え方として間違っているわけではない。
ただ文は、
それはあくまで正しいものなので、私はそれに従う、
と言っているわけだ。
機会があったら通して見てみるといい、けっこうカッコいい。

フビライは、反乱しないことを条件に生かそうとも考えたが、
文天祥が生きていれば、それを利用する勢力が出るだろう、と、
結局死刑にした。

文天祥は、南(南宋の方向)に拝礼してからその首に刀を受けた。
フビライは「真の男子なり」と嘆いたという。

中国においても戦前までの日本においても、
国史トップ5に入る有名人のはずなのだが、
「主君に忠誠を尽くす」という価値観が、今の日本には合わない。

したがって、戦後の平和教育というヤツを受けてきた君たちは、
(実は私もなのだが)彼を知らなかったとしても、
例えば幕末の藤田東湖吉田松陰あたりは、
文天祥への返歌の形で、いくつもの正氣の歌が書かれている。