数学帝國への逆襲 (西春自習質問教室のブログ)

「西春自習質問教室」は、高校生のための自習と質問に特化した教室です。 電話 0568-65-8104

なぜ勉強するのか?

申し訳ない、肝心なことを書き忘れていた。
教育を生業にする以上、これは書かなきゃいけないと思う。

「なぜ勉強するのか」

「自分のため」と学校の先生は言うだろう。
「将来のため」と君たちのお父さんお母さんは言うかもしれない。
確かにそうだ、間違ってはいない。

じゃあ私は?
私は何のためにこの仕事をしているんだ?

「生活費を得るため」、確かにこれが理由の大半ではあるが、
それだけじゃないぞ。
「生徒の役に立ちたいから」「生徒の将来を考えて」
そういう気持ちもあるのだが、口に出すのは恥ずかしい。
「若い君たちに頭脳で負けたくない」・・これはけっこうあるな。

説明するために、ここは少し回り道をご勘弁願いたい。

私のところで働いている、あるいは働いていた先生で、
カンボジアまで自費でボランティアに出向いた人や、
熊本地震の際にボランティアに行った人がいる。

素晴らしいことだと思うかい? もちろんそうだな。
だが、それだけで終わりなら間違いだ。

彼らがボランティアに行く間、
彼らの残していった仕事を片付け、代わりをする人がいる。
彼らのお父さんお母さんも、いろいろな意味で協力しただろう。
そういう人だって、ボランティアに参加したとは言えないか?

また、私のところで働いていた先生で、
ノーベル賞科学者の教え子だった人もいる。
その科学者の元で日々研究をしていたわけだが、
ノーベル賞受賞のための旅の世話までして、体調を崩した。

したがって私は、ノーベル賞国民栄誉賞に、
反対だとまでは言わないが、複雑な思いを持っている。

何が言いたいのか。
ボランティアも科学の業績も、たった一人が偉いのではなく、
その周り全体が「努力し良い方向に向いていた」結果だと思うのだ。

それが「勉強する理由」である。

世の中が、怠惰で怠慢で誤魔化しが多くなれば、人類は負の方向に向かう。
逆に、皆が努力し勤勉であり正の方向に向いていれば、世界は平和だ。

そう思わないか?
世界平和というのは、怪人を殴って蹴って爆発させれば得られるのか?
あるいは、国連で顔を歪めて叫べば手に入るのか?

違う。
地球に住む人間の皆が皆、勤勉に努力し考えを尽くせば、
平和な世界が、環境良化が、人類自体の発展が、きっと得られる。

大袈裟だ、誇大だ、と思う人のために、話をもう少し小さくしよう。
君たちが努力し、自分の希望の道に進むなら、
それはこの世の中に、ひとつの人材が加わったということだ。
君たちの周りが、ほんの少しだが良くなった、と言うこともできる。

逆に君たちが勉強をしなくなり、諦めて、どうでもいいや的に暮らすなら、
それはひとつの才能が潰れたということであり、
君たちの周りが、ギスギスして暗くなっていくことに通じる。

大きく考えても小さく考えても、私には当たり前の話に見えるが、
違っているかな?

私は、そのためにこの教室を運営し、君たちに数理を教えている。
そして言う、
「世界の平和のために勉強しなさい」と。