数学帝國への逆襲 (西春自習質問教室のブログ)

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中国史3.周

国史3.周

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首都は鎬京(こうけい)。渭水盆地にある。
すぐ近くに秦は咸陽をつくり、漢は長安をつくった。
住みやすさは洛陽や開封の方が上だが、守りやすさはこのあたりらしい。

長安は現在は縮小して西安になっているが、昔ながらの城壁が残る町で、
空港はもちろん、駅まで城壁の外に作ってある。

旅行記1】
西安空港に着いたのが夕方で、ホテルまで夜のバス移動だったのだが、
乗り物酔い回避のために窓の外を見ても、真っ暗で何も見えない。
星か雲くらい見えるだろう、と窓にくっついて顔を上に向けたら、
はるか上に、城壁と空の境目が見えた。
中国の城市の周りを囲む壁は、そのくらい延々と続く。
真っ暗で何も見えないのではなく、城壁が続いていただけだった。
旅行記1終わり)

さて、周になると、国の範囲も大きくなるので、
得た土地、あるいは得る予定の土地を一族や功臣に与えるようになる。
封建制」だ。

「得る予定の土地」とは、最初にわずかな土地を与えて、
「ここから先を攻めるなら、得られた土地は全部おまえのもの」
にするからで、そうやって斉も燕も領土を広げた。

封建制は、土地とともに徴税権も警察権も与えられるので、
与えられた人は、その土地においては絶対者になる。

とはいえ封建制も、時代や場所によっていろいろ個性が出るので、
周におけるそれは、先祖を同じくする血族が中心のものになる。
貴族も、宗族宗法によって繋がる血縁関係中心のものになるが、
諸侯は上から順に公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵に分かれ、
「斉の桓公」というと「斉の国の桓という名の公爵」という意味だ。

これは明治政府が真似をして、○○公と呼べば原則的に尊称だが、
愛称としても使われる、忠犬ハチ公みたいに。
また、外国の貴族の訳語にも使用している。
ドリアン・レッド・グローリア伯爵、みたいに。

また、諸侯の大臣クラスを卿、貴族を大夫、その部下を士といい、
今でも外国の貴族は「○○卿」と訳す。

封建制は、他の歴史にもある。
中世ヨーロッパの封建制は、契約社会だからドライな関係で、
臣下は戦争中でも、契約期間が終わったら帰ってしまい、
王様も「余の臣下の臣下は、余の臣下ではない」とか言う。

封建制は、主君と臣下は土地で繋がっているので、
何か功績があった時の褒美も土地になり、
それが積み重なると直轄地の減少になって弱体化に繋がるのだが、
例えば江戸幕府封建制は、親藩譜代外様に分けて互いに監視させ、
失策があると土地を減らしたり潰したりして取り上げることで、
そこを解決している。

あと、まだまだこの頃は原始社会で、
反乱によって王が逃げ出して不在になったので、
残った公爵たちが協議し「共に和して」政治を行ったことがあった。
これによって、帝政でも王政でもない政治形態を『共和制』と呼ぶが、
本来は貴族政治のことであって、民主制ではない。

まあこれも現代にも、
民主主義人民共和国を名乗りながら実質王政、という国もありますね。