10.三国(220~280)
上の写真は、二次大戦で旧日本軍がモビルスーツを使用した証拠写真だ。
こんな超兵器でアジアを攻めたなら、謝罪と賠償も当然である。
・・と言われて信じる人はいないと思うが、
実は、それが信じられているのが「三国志」なのだ。
三国志に出てくる関羽の青龍偃月刀、呂布の方天画戟は、宋代の武器で、
張飛の蛇矛に到っては、明の頃にやっとつくられた武器だ。
つまりあの物語を日本史に例えるなら、
戦艦大和が波動砲を撃ち、山本五十六がライトセイバーを使うような、
むしろどうやったら負けることができたんだ、というものになる。
それを承知で言うが、
無茶苦茶面白いので、生徒諸君も一度は読んでみることを勧める。
魏:首都は洛陽。
曹丕が後漢の献帝から禅譲を受けて始めた王朝だが、
現実の建国者は父親の曹操。三国志では悪役だが、カッコいいぞ。
各国とも、味方は多い方がいいので、
邪馬台国からの遣いにも「親魏倭王」の印を贈ったわけだが、
それでも、中華思想から蛮夷の王にはろくな字を当てないので、
わざわざ卑の字を使って「卑弥呼」と魏志に書く。
(匈奴も同様。誰が自分から凶悪な奴なんて名を名乗るかって)
卑弥呼なんて存在せず、遣いは「ヒメ」「ヒコ」と言ったのでは、
という説もある。
蜀:首都は成都。
後漢滅亡を知った劉備が、漢の跡を継いだと宣言した王朝。
したがって本当の国名は「漢」だ。(劉秀の国も同様)
区別がつかないので、後世の人たちが蜀漢または蜀と呼んだ。
太陽も皇帝もひとつ、という鉄則が、これで崩れたわけではない。
魏は蜀を、蜀は魏を認めていないだけだ。
台湾旅行に行ったら、書店で世界地図を買ってみるといい。
中国大陸全土が台湾と同じ色に塗られ「中華民国」と書いてある。
台湾は「中華人民共和国」なんて認めていない。
呉:首都は建業。(業を建てるから)
特に主張はない。魏と蜀ができて、では我々も、というだけ。
建国者孫権は、孫子の末裔を自称している。
教科書には、赤壁の戦い(208)で呉蜀連合軍が魏を破ったと書いてあるが、
赤壁は、全国統一目前の曹操軍100万を、呉軍5万が倒した戦いで、
長江上の曹操軍に風下から火攻めを仕掛ける奇襲中の奇襲。
劉備はまだ、蜀の地に足を踏み入れてもいない。
だいたい劉備は、漢の皇室血統を名乗っているのだが、
彼が祖先と主張する中山靖王劉勝は、孫が百人を超える子だくさん。
いくらでも誤魔化せるってものなのだ。
上のようにかなり脚色はあるにせよ、三国のトップは英傑ぞろいで、
劉備と諸葛孔明が死んだら、蜀は魏に征服され、
その魏も、司馬炎に禅譲によって奪われる。
司馬炎の晋が呉を征服して、三国は終わる。
[蝗]
生徒に「虫の皇帝とは何か」と訊くと、クモとかカマキリとか言う。
それは虫対虫での話で、人類のどんな軍隊も敵わない虫だよ、
そう言っても、なかなか蝗(いなご、バッタのこと)は挙がらない。
三国志には、蝗によって戦いが終わった記述がある。
無数のバッタに襲われたら、そこにある植物の全てが食べられる。
(「相転移」と言って、普段食べないものも食べる凶悪バッタになる)
歴史上は「こうがい」というと蝗害のことなのだが、
今は公害で工業廃棄物のことだから、時代が違うと言えばそれまでだ。
バッタも改造されてバイクに乗り、悪と闘うヒーローになっている。
さてここで故事成語だが、人気の時代だけあって多いぞ。
『髀肉の嘆』
出番がなくて嘆くことを言う。
不遇時代の劉備が、
昔は戦で野を駆け回ったが今は太ももに贅肉が付いてしまった、
と嘆いたことによる。
(このままオレは終わってしまうのか、という意味ね)
『臥竜』
眠れる竜。
将来が期待できる若者に使う言葉。
諸葛亮孔明が、青年時代からこう言われていた。
同様の言葉に「鳳雛」(鳳凰の雛)「麒麟児」「若獅子」等がある。
『三顧の礼』
味方にするために何度も足を運んで頼むこと。
劉備は諸葛孔明を軍師として迎えるために、
二度訪ねていっても留守で、三回目にやっと会えたという故事から。
『水魚の交わり』
劉備が、諸葛孔明と話して感じ入り、
私が孔明を得たことは魚が水を得たようなものだ、と言ったことによる。
『苦肉の策』
呉の老将黄蓋(こうがい)が、曹操を欺いて降参するふりをするために、
孫権の謀将周瑜を怒らせる芝居をして、自分を百叩きにさせ、
血まみれになりながら偽装投降を成功させたことによる。
だから、自分自身も多大な損害を負いながら策をめぐらすことだが、
他に何もなくて苦し紛れに考え出した作戦、という意味にも使われる。
『男子三日会わざれば刮目(かつもく)して見よ』
成長や上達の早い様子を言う言葉。
昨日のオレとはちょっと違うよ、という意味。
呉の将軍呂蒙が、字すら書けないことを孫権に心配され、
奮起して猛勉強し、その変わりように驚いた人に言った言葉による。
『白眉』
いくつもの中で一番の商品または人材のこと。
馬氏の5人兄弟は皆優秀だったが、
中でも一番の人材馬良は、眉が白いことが目印だったことが由来。
『危急存亡の秋(とき)』
我々は現在破滅するか生き残るかの瀬戸際だ、という意味。
諸葛孔明が魏に軍を進める時に、
蜀の二代皇帝に書いた名文「出師の表」の中の一節。
江崎グリコの社長が製品に毒を入れられた時のセリフとして有名。
『泣いて馬謖(ばしょく)を斬る』
期待の部下や自分と親しい部下を叱責あるいは降格させること。
諸葛孔明の一番弟子だった馬謖が、思い上がって失敗し大敗したので、
孔明が私情を捨てて責任をとらせ処刑したことによる。
馬謖は、白眉の馬良の弟。
『空城の計』
絶体絶命の時に、全てを放り出すことによって活路を見いだすこと。
大軍に攻められた城が、門を開け放して罠があるふりをした故事から。
誰が最初かは諸説あるし、諸葛孔明の空城の計も創作かもしれない。
失敗したら全滅かつ笑いものの策なので、並みではない度胸が必要。
日本では、徳川家康が三方原の合戦の時に浜松城でやったという。
『死せる孔明、生ける仲達を走らす』
故人の影響が現在でも残ること。
諸葛孔明が陣没し、それを察知した魏の司馬懿仲達が攻めかけたら、
孔明の人形を乗せた馬車が出てきたので、さては死んだのは嘘か、と、
びっくりして逃げてしまった故事による。
あと日本の諺ではないのだが、日本で「噂をすれば影」というのは、
中国では「曹操の話をすると曹操が来る」と言う。
◎三国の制度◎
九品中正法(魏、九品官人法ともいう)
優秀な人材を登用するために、九段階に分けて推薦させる方法。
隋で科挙が始まるまで続く。
でも、推薦する中正官が賄賂で段階を決めたので、
「上品に寒門なく下品(かひん)に勢族なし」と言われた。
上品下品(げひん)という言葉になって、今に伝わる。
屯田制
兵をその土地の開墾にも使うシステム。
前漢武帝の頃から行われ、魏が本格導入したことで強くなった。
もちろん、蜀も呉も同様のことをしている。
名前を変えてその後も続き、明治政府も北海道に屯田兵を置いた。
【京劇】
曲芸をしながら演じる中国版オペラなのだが、
題材で人気があるのも、三国時代だ。
部下と放浪中の劉備が、村人に悪さをする曹操の手先を懲らしめる。
つまり、真似をしたのが水戸黄門だな。